幻の宰相
小松帯刀
小松帯刀について
小松帯刀は天保六(1835)年、喜入(現鹿児島市)領主の肝付兼善の三男・尚五郎として生まれ、のちに吉利(現日置市)領主であった小松家の養子となり、小松帯刀清廉と改名する。
吉利領主となった帯刀は領地に足を運び、領民の労苦をねぎらうことに努めたので「小松家の名君」と呼ばれた。
名君の誉れは藩内に知れ渡り、藩の近代化を進める島津斉彬の元で火消隊長や、文久二 (1862)年には家老へ昇進し、倒幕に向けての薩長同盟や大政奉還を将軍徳川慶喜に進言するなど明治維新の礎を築いた。
維新後は参与として領地である吉利の返上と家格の返還を行い、版籍奉還の規範を諸大名に示すなど手腕を発揮した。
新政府の中核として最も活躍を期待された一人であったが明治三(1870)年、三十六歳の若さで死去。その早すぎる死で維新後の活躍が果たせなかったことを惜しみ「幻の宰相」と呼ばれている。
沿革
西暦 | 概要 |
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1835 | 十月十四日 のちの小松帯刀、肝付家三男として誕生(幼名は尚五郎)。 於一(のちの篤姫)、坂本龍馬も同年に生まれる。 |
1851 | 島津斉彬藩主就任。 集成館事業開始。 |
1856 | 一月 尚五郎、吉利領主小松清献の跡継ぎとなる。 |
1858 | 三月 帯刀と改名。 火消隊長に命じられる。 七月 斉彬が急死する。 帯刀、火消隊長として斉彬の葬儀を警護する。 |
1861 | 十月 帯刀、側役となる。 |
1862 | 四月 寺田屋事件 八月生麦事件 十二月 帯刀、家老に命じられる。 |
1863 | 生麦事件が原因で、薩英戦争が起こる。 |
1864 | 帯刀、グラバーと交渉し、二隻の船をイギリスから購入する。 |
1865 | 三月 薩藩英国留学生、出発。 |
1866 | 一月 京都小松邸で薩長同盟が締結。 龍馬、京都で襲われ、鹿児島に向かう。帯刀の屋敷や霧島の温泉で保養。 |
1867 | 一月 帯刀、城代家老に命じられる。 日本初の洋式造船所、長崎小菅修船所が、帯刀、グラバーの出資により着工。 十月 大政奉還 |
1868 | 戊辰戦争が起こる。 四月 江戸城無血開城。 |
1869 | 二月五日 帯刀、版籍奉還の模範を示す。 |
1870 | 七月十七日 帯刀、大坂で死去。 (三十六歳) |
1876 | 十月吉利の墓地(園林寺跡)に改葬。 |